走馬灯

 

 

 

  さらさらと流れていくものが、自分だとわかりながらも、どこか実感がわかなかった。

 右手は武装がほどこされているせいだけではなく、セイバーの頬の感触がない。視覚的に触れているということだけはわかった。

 手に入らないからこそ美しい。英雄王が手に入れられなかったものはそう多くはない。

 
「―――」
 まっすぐなセイバーの、アーサー王の目はやはりどこか友を思い出させる。
 その友は、その瞳で、かつてじっと見、そして出会ったのであったか。せいぜい顔が幼いところ以外は似ても似つかぬが、英雄王にとってはその瞳の輝きこそが全てだった。
 全ての財よりも貴いもの。
 友の座というものは彼以外には、例えセイバーであっても渡すつもりはない。だから、嫁にと思っていたが、結局十年待っても叶わなかった。
 
――我にとっては10年なんぞ、大した長さではないが。
 
 さらさらと自分の体が落ちていく感覚に、過去を思い出す。まるで、走馬灯のように。
 
 
 
 友と出会った日噛んだ砂は、とても固かった。
 友とともに駆けた地に舞う砂は、きらきらと輝いていた。
 友とともに戦った大地には、敵の血が落ち、泥のようだった。
 友が死したその日の、その友の肌は、泥人形に戻ったかのように冷たかった。
 
 そして、あの日の砂が、ちょうどさらさらと、金色に輝いていた。目的の薬を手に入れた、その日のことだ。
 不老不死。
 自分と同じく強かったはずの存在が、友が死んだ。そして自分もいつかは死ぬ。それを思って、旅をし、そしてとうとう手に入れた。手に入れてしまった。
 水浴びをしながら思いを馳せる。
 
――なぜ、あの日に我はこれを持っていなかった。
 
 裸体に流れていく水よりも、あの日の友の肌はより冷たかった。手に掬い、頭からかえて、体が冷えていくというのに、水を掴んだというのに、友の体を抱きしめた時のほうが体が芯から冷えていた。歯噛みしようと、水に拳を叩きつけようと、友が死んだ事実は戻らない。
 
 では時を戻すか? 死者を蘇らせるか?
 なぜか、そういうことをしようという気にはならなかった。
 
 なるほど、確かに暴君だ。傲岸だ。友の死で受けたものは、自らの死への恐怖だったのだから。乾いた笑いさえ出てしまい、それとともに軽く息を吸い、しゃがみこんで頭まで水中に浸かる。
 当然だが、呼吸はできない。小さな泡を口から出しながら、水中で手を見つめる。これだけしても、体温は消えることがない。あの日のエルキドゥを改めて思い出すには、不足している。
 しかし、なぜこうまで思い出そうとしているのだろう。
 思い出したくもないはずだ。もうあんな思いはしなくはなかったのだ。だから、もう彼以外に友は作らぬと決めた。元より彼以外では役者不足もいいところだが、それでも、こうして思い出したくもないことを思い出そうとするのは、我ながら滑稽だった。
 
 死ぬつもりもないので顔を上げる。と、持ち物や衣を置いた箇所から物音がした。
 
「な、」
 
 しゅるしゅるとやたら長い蛇が、布の中から尾を出していた。
 思わず駆けるが、水の中だ。気がついたらしい蛇がしゅるりと逃げようとする。一瞬の殺意を覚え、だが、ふと手も、足も止まった。
 
「―――」
 
 はくりと、何かが口から出そうになった。だが、何を口にしようと思ったのか、我ながらわからない。
 そうこうしている間に、蛇は、なぜか皮一枚置き去りにしていなくなってしまった。そこでやっと動きだした手が掴んだそこに、もう、長年追い求めて、やっと手に入ったものはなかった。
 その時、確かに怒りを感じていたはずだった。悲観さえした。この世の蛇という蛇を狩りつくしてやろうとさえ思った。思ったが、ふと、水鏡に映る顔に、吃驚して全ての思考を止めてしまった。
 
 その顔は、金の髪を濡らし、頬を伝う水は涙のようだというのに、紅い瞳には安堵の色さえ宿っていた。
 
――なぜだ。
 
 わからない。
 わからなかったら、きっとくだらないものだったのだと思うことにした。そう、蛇にくれてやったにすぎない。あんなもの、自分には必要のないものだった。そうに違いない。
 濡れた手を軽く衣で拭い、蛇の皮を摘みあげた。乾いたそれは、長く長く繋がったまま、まるでこのまま蛇に着せてやれそうだった。それを、そのまま水の中に落とす。
 皮は逆らうことも、暴れることもなく、水にぬれて、少しずつ沈んでいった。
 上がろうと地に手をつく。水分を拭ったその手には、砂のさらさらとした感覚と、地面のぬくもり。
 まるで、泥人形から生まれた友が、生きていたころのその頬のようなぬくもりだけがあった。
 
 
 
 
 
 走馬灯は、本当に一瞬のことだったというのに、その一時全てを今また追体験したかのような錯覚が残る。ゆっくりにさえ感じるこの時の流れは確かに死の感覚に近い。
 自分がこうして消えてしまうが、第四次のサーヴァントである自分もあの聖杯の贄となるのだろうか。そう思考を巡らせた。だが、今更そうなったところでどうということもない。
 見届けるつもりだった男が二度目の死を迎えようとしているのが伝わってくる。いや、もうこれは死んでしまったのだろうか。結局最期すら見ることは叶わなかった。
 どうせヤツが死ぬというのなら、セイバーを下した後大笑いして見送ってやれればよかったのだが。ああ、さぞかしあの男は不満そうにするだろう。ここ十年、そういった表情は見ていない気がする。出会ったころのように、しかし全く違う形で現実との齟齬に苦しんだ表情でもしていただろうに。勿体ないことをした。
 
「―――、」
 
 自然と上がった口角から、ふと力が抜ける。鎧が溶けて、ほんの一瞬ことだった。
 もう感覚もなかった肌に温かさが伝わる。人肌のそれは確かに目の前の少女のものだろう。しかし、その間違いなく人間の頬であるはずのそれが、土くれのように思えた。土くれのようなくせして、生き生きとしたそれ。
 ああ、なんと懐かしいことか。この懐かしさだけでも、やはりこの女は傍に置く価値があったというに。
 しかし、まあ、なんと棄て難い瞬間だろう。
 
「ではな、騎士王」
 
 もう手の力はもう持たない。重力に逆らわず、そっと手を落とすが、目の前の騎士王は微動だにしない。すっと立ち上がり、動揺の色も、怨嗟も、喜びさえもあらわさないそれは、なるほど騎士の王の表情だった。10年前、友を思わせたあの無謀さとはかけ離れたそれは、彼女が真に王たりえることを証明している。
 
「いや、」
――ああ、確かに、あいつならここで笑ってもみせるのだろうか。
「――なかなかに愉しかったぞ……」
 
 騎士王の瞳に映った紅い瞳は、あの日のように穏やかなぬくもりさえ持っていた。友が呆れたように笑う声が、聞こえた。
 
 
 
 
 
 
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